シニア向けのパソコンボランティア講師をかれこれ10年。生徒の皆さんとの交流や、パソコンやインターネットと関係があるようなないような心温まる話題を書き連ねていきます。
2010年4月10日土曜日
ジャック・ニコルソンもお手上げ(その4)
タッチペンをテーブルの上に投げ、去って行ったジャック・ニコルソン。はからずも彼は「タッチペンデバイスの隠された意図」を教えてくれました。
彼がサインしようとするザウルスの画面、横から見ていたら、黒い描線がピュピュッと、描き手の意図しない形に直線的に走っていたように見えました。
この現象、後で分かったのですが「何かが画面の2点以上に接触している場合」に起こるものでした。ザウルスの液晶画面のタッチセンサーは、同時に2点を指示されるとどちらがユーザーの意図したポイントなのか判別できなくなってしまいます。あっちかな、こっちかなという迷いが描線を瞬間移動させてしまうのです。
「後で分かった」というのは、トラックパッドを備えたパソコン(PowerBook 2400C)を操作したときに、2本指で触ってポインタの瞬間移動を体験したからです。ザウルスもトラックパッドも、あるいは銀行のATMなども、タッチセンサーは複数ポイントの同時検知ができなかった……。
しかし、だからこそ「ペン」の意味があったわけです。タッチセンスとペン(スタイラス)をセットにしてユーザーに提供したのは、もちろん細かいポインティングをしやすく、という意図もあったでしょう。
それと同時に、同時に1点しかセンスできないハードウェアの制約を、ユーザーから覆い隠す狙いもあったのではないか……。「そうだ! ペンを使わせれば、タッチセンスすべき箇所を1カ所に限定できる。2本以上のペンを持って同時に使っている人はいない……」
デザイナーはそう考えたのかもしれません。
もし2本使っている人がいたとしても、それはペンではなくお箸でしょうから。
2010年3月24日水曜日
ジャック・ニコルソンもお手上げ(その3)
さて、ようやく3話目から本題に入ります。
稀代の名優、ジャック・ニコルソン主演で1994年に公開された『ウルフ』は、題名どおりのオオカミ男映画でした。
そのプロモーションの一環として、映画ライターをハリウッドに招き、ニコルソンをはじめ出演者や監督を囲む取材セッションが企画されました。場所はビバリーヒルズのフォー・シーズンズホテル。費用はぜんぶ映画配給会社持ちという豪勢な旅に、なぜかベテランの映画ライターに混じって私も参加することになりました。
太平洋を飛び越えて着いたロサンゼルスの季節はたしか初夏。『SPEED』の現地から封切り間もない頃だったと思います。カラリとした風が吹き抜ける明るいホテルの一室で、中央の円卓を何人かの記者が囲み、一つだけ席を空けて待ちます。
するとそこに次々と出演者やプロデューサーや監督がやってきて、いくつかの質問に答え、笑顔で握手して、手を振り去っていく。と、また次の取材対象者がやってくる……。
そういう部屋がホテル内に他にもいくつか設けられ、地元メディアの記者やライターたちも同じスタイルでインタビューをしていたのだと思います。実に効率的な取材セッションですね。
スタローンで味をしめた私は、当然ながらニコルソンからもザウルスにサインをもらおうという考えていました。何を訊いたか今となっては覚えていませんが、質問に機嫌良く答え終え、さて席を立とうかという瞬間を狙って、ペンとザウルス(もちろん「手書きメモ」の初期画面にセットした状態で)を差し出しました。
ニコルソンは笑顔を崩さずそれを受け取り、意図を理解し、ペンでサラサラッと描こうとしましたが、どうも思うように描けません。
2、3度チャレンジしても、やはりダメ。首を横に振り、ペンをテーブルの上に投げやり、両手を開いて「お手上げ」のポーズ。
「悪いね、もう時間だよ」とでも言いたげに、部屋を去っていってしまいました。時間にして20秒ほどの出来事だったと思います。
なぜ、うまく描けなかったのでしょう。横から見ていた限りでは、黒い描線がピュッと意図しない形で直線的に伸びてしまったような感じでした。ううむ、ザンネン。その時はそれでおしまいだったのですが、このブログにそのときの様子を書こうとあれこれ考えているうち、タッチペンデバイスの隠された意図に思い至りました。
稀代の名優、ジャック・ニコルソン主演で1994年に公開された『ウルフ』は、題名どおりのオオカミ男映画でした。
そのプロモーションの一環として、映画ライターをハリウッドに招き、ニコルソンをはじめ出演者や監督を囲む取材セッションが企画されました。場所はビバリーヒルズのフォー・シーズンズホテル。費用はぜんぶ映画配給会社持ちという豪勢な旅に、なぜかベテランの映画ライターに混じって私も参加することになりました。
太平洋を飛び越えて着いたロサンゼルスの季節はたしか初夏。『SPEED』の現地から封切り間もない頃だったと思います。カラリとした風が吹き抜ける明るいホテルの一室で、中央の円卓を何人かの記者が囲み、一つだけ席を空けて待ちます。
するとそこに次々と出演者やプロデューサーや監督がやってきて、いくつかの質問に答え、笑顔で握手して、手を振り去っていく。と、また次の取材対象者がやってくる……。
そういう部屋がホテル内に他にもいくつか設けられ、地元メディアの記者やライターたちも同じスタイルでインタビューをしていたのだと思います。実に効率的な取材セッションですね。
スタローンで味をしめた私は、当然ながらニコルソンからもザウルスにサインをもらおうという考えていました。何を訊いたか今となっては覚えていませんが、質問に機嫌良く答え終え、さて席を立とうかという瞬間を狙って、ペンとザウルス(もちろん「手書きメモ」の初期画面にセットした状態で)を差し出しました。
ニコルソンは笑顔を崩さずそれを受け取り、意図を理解し、ペンでサラサラッと描こうとしましたが、どうも思うように描けません。
2、3度チャレンジしても、やはりダメ。首を横に振り、ペンをテーブルの上に投げやり、両手を開いて「お手上げ」のポーズ。
「悪いね、もう時間だよ」とでも言いたげに、部屋を去っていってしまいました。時間にして20秒ほどの出来事だったと思います。
*
なぜ、うまく描けなかったのでしょう。横から見ていた限りでは、黒い描線がピュッと意図しない形で直線的に伸びてしまったような感じでした。ううむ、ザンネン。その時はそれでおしまいだったのですが、このブログにそのときの様子を書こうとあれこれ考えているうち、タッチペンデバイスの隠された意図に思い至りました。
(その4)に続く
2010年3月19日金曜日
ジャック・ニコルソンもお手上げ(その2)
「手書きメモ」の一番の用途は何だったかというと、これです。
「おおっ!」とか何とか言いながら、ザウルスに楽しげにサインしてくれたのは、シルベスター・スタローン。映画のプロモーションで来日し、帝国ホテルのスイートルームでの約30分の短い取材セッションの最後にサインをもらいました。そしてこれ。
分かりますよね、漫画家の小林よしのり氏。事務所を訪ね、取材を終えてから持ち出したところ、「おもしろいぞ、これは!」とつぶやきながら、太ペン細ペン、黒とグレーを使い分けながら描いてくれました。さすがでした。さらにこれ。

「おおっ!」とか何とか言いながら、ザウルスに楽しげにサインしてくれたのは、シルベスター・スタローン。映画のプロモーションで来日し、帝国ホテルのスイートルームでの約30分の短い取材セッションの最後にサインをもらいました。そしてこれ。
分かりますよね、漫画家の小林よしのり氏。事務所を訪ね、取材を終えてから持ち出したところ、「おもしろいぞ、これは!」とつぶやきながら、太ペン細ペン、黒とグレーを使い分けながら描いてくれました。さすがでした。さらにこれ。
パソコン通信の偉大なる先達、すがやみつるさんのものです。すがやさんに直接描いていただいたものではなく、ザウルスどうしの赤外線通信で人づてにいただいたものです。たぶん師匠からだったかな。すがやさん、ありがとうございました。

また、やはり映画のプロモーション(たしか『ワイアット・アープ』)で来日したケビン・コスナーのサインです。ホテル西洋銀座で円卓にマスコミ各社を集めての取材セッション後にもらったものです。たくさんの方に赤外線通信でお配りしましたが、それが何人かの手を経て、当時ネットアイドルと呼ばれていた千葉麗子さん(チェリーベイブ)にも渡っていたことを、後日確認できました。
*
その日その場所でもらったという唯一性が、有名人のサインが価値の根源です(たぶん)。だって本人さえ生きていれば、サインはいくらでも生産できるわけですし。
ここに紹介した“サイン”は、デジタルな形とはいえ、ある特定の状況下で、書いたり描いたりしていただいたものです。私が自分でもらったものには6桁数字で日付を入れてありますので、取材時の状況証拠などから、もらったこれらが「ホンモノ」であることを証明することができます。では赤外線通信で人にあげちゃったりしたら、それは「ニセモノ」なの? でも「ホンモノ」と「ニセモノ」は1ビットたりとも違いはないわけで、じゃあホンモノとニセモノの境界はどこに? データそのものでなければ、そのデータを記録したハードウエアの唯一性が、サインの唯一性を意味しているのか? なら、一度データを消去して、再度インポートしたらどうなるの? なんてことを当時考えたりもしました。
もちろん、悩んでもあまり結論の出る話ではありませんし、結論が出たからどうだというものでもありません。どうせなら、殺害した友人になりすますためサインを練習するシーンが有名な、映画『太陽がいっぱい』で主人公を演じた、あのアラン・ドロンからもらっておけばよかったか……。
*
ともあれ。仕事で取材に行って、編集者や宣伝部の人やカメラマンのいる前でサインをもらうのは、実はとても恥ずかしいこと。が、当時めずらしかったザウルスは話のタネにもなり、みなさん喜んでサインしてくれて、こんなコレクションができあがっていきました。(後日あらためて紹介したいと思います。ノーベル賞作家などもありますよ。)
が、失敗もなかったわけではありません。それが表題の「ジャック・ニコルソン」でした。そして私はそこで、タッチペンデバイスの大きな弱点と、隠された意図を知ることになるのです。
(その3)につづく
2010年3月17日水曜日
ジャック・ニコルソンもお手上げ(その1)
個人的にかなり使い込んだつもりのタッチペンデバイス、ザウルス(PI-3000)の、どの機能をもっとも使っていたかというと、これはもう「手書きメモ」に尽きますね。
もちろん電話帳やスケジューラー、アクションリストや辞書などザウルスが売りものにしていた機能も使ってはいるわけですが、「手書きメモ」はそれらすべてを凌駕していました。ペンで自在に絵が描けるこの種の機能を備えた携帯機器は、当時ザウルスしかなかったように思います。どれほど使い込んでいたかというと、ザウルスのハウツー本にわざわざ記事を寄せたほどです。
現在のようなウェブサイトや検索エンジンなどなく、目的の情報にたどり着くためには、電話番号と人名→電話番号と人名→電話番号と人名→…というチェーンをひたすらたどるしかなかった時代のことです。
この「手書きメモ」の機能は対面でのコミュニケーションを円滑にする役割まで果たしてくれました。何を言っているのかというと、人と会ったときに話題のとっかかりや話のタネにできちゃったということです。そしてどういうふうに使っていたかというと……。
もちろん電話帳やスケジューラー、アクションリストや辞書などザウルスが売りものにしていた機能も使ってはいるわけですが、「手書きメモ」はそれらすべてを凌駕していました。ペンで自在に絵が描けるこの種の機能を備えた携帯機器は、当時ザウルスしかなかったように思います。どれほど使い込んでいたかというと、ザウルスのハウツー本にわざわざ記事を寄せたほどです。
- 手近にある紙の切れ端に記入するように、ありとあらゆる情報をここに記す。電話しながらのメモもこれで取る。電話帳のデータを参照して電話をかけ、つながったら手書きメモに切り替えて待つという具合だ。これでメモ散逸の心配がなくなった。
- 画面が小さく記入可能量が少ないのではといぶかる方があるかもしれないが、取材する仕事をしていていちばん重要なのは、情報を持っている人にアクセスするための手段、つまり電話番号と人名の2つだけ。したがってあの小さい表示面積でも充分なのだ。(MK)
『ザウルスで仕事革命』、行本明説・谷川昌司著、TBSブリタニカ、1994
現在のようなウェブサイトや検索エンジンなどなく、目的の情報にたどり着くためには、電話番号と人名→電話番号と人名→電話番号と人名→…というチェーンをひたすらたどるしかなかった時代のことです。
- なおパソコンでは考えられないことだが、ザウルスは「タイトル未設定」という同じ名前で保存されたデータがいくつあっても受け入れてくれる。
- パソコンやワープロだと「同じ名前のファイルがあります。上書きしますか?」などと聞き返してくるところを、シレッとした顔で呑み込んでくれるのが素晴らしい。これがあったからメモ用紙の替わりに使えているといっても過言ではない。(MK)
この「手書きメモ」の機能は対面でのコミュニケーションを円滑にする役割まで果たしてくれました。何を言っているのかというと、人と会ったときに話題のとっかかりや話のタネにできちゃったということです。そしてどういうふうに使っていたかというと……。
(その2)につづく
2010年2月27日土曜日
「ひらがな」の書き順
当たり前ですが、ひらがなにも「正しい書き順」があります。
当たり前すぎてすっかり忘れていたそのことを私に思い出させてくれたのは、1993年にシャープから発売された、液晶表示・タッチペン操作の小さなコンピュータ「ザウルス」です。
手書き文字認識の精度とスピードは、当時としては画期的なものでした。「Z80」という初期のパソコンのCPUと同等品を、文字認識のためだけ搭載していたそうです。(Wikiペディアによる)
2cm角ほどの認識エリアにタッチペンで線を描くと、候補文字が次々と上部のウインドウに表示されていきます。すべてを描き終わらなくとも、意図していた文字が表示されたなら、それをタッチすれば確定される……。そういう操作体系でした。
しかし私には、どれだけ描いても描いても認識されない文字がありました。ひらがなの「せ」です。
他の文字はあれほど精度良く認識してくれるのに、画数も少なく形もシンプルなひらがなをわかってくれないなんて、いったいどういうことかとだいぶ悩みました。そしてひょっとしたら「自分の書き順が問題なのでは?」との疑念が生まれました。
私は「七」を描いてからタテ画を入れていましたが、考えてみれば「せ」は「世」の変体ですから、ヨコ画とタテ画を先に入れるのが正解なわけです。
それに気づき、はじめてザウルスで「せ」を書くことができて、えらく気持ちがスッキリしたのを覚えています。
おそらく、より速く候補文字を絞り込むため、書き順も文字判定の基準に加えていたということなんでしょうね。今これを書いているパソコンの手書き文字パレット(ATOKやMS-IMEなど日本語変換ソフトに用意されている)では、どんな書き順でも「せ」を認識してくれましたから。
ザウルスを使ってみての発見やエピソードを、もうすこし書いてみます。ちなみに「タッチペン」は正しくは「スタイラス」というんですね。石版に書く硬い筆のことだそうです。
当たり前すぎてすっかり忘れていたそのことを私に思い出させてくれたのは、1993年にシャープから発売された、液晶表示・タッチペン操作の小さなコンピュータ「ザウルス」です。
手書き文字認識の精度とスピードは、当時としては画期的なものでした。「Z80」という初期のパソコンのCPUと同等品を、文字認識のためだけ搭載していたそうです。(Wikiペディアによる)
2cm角ほどの認識エリアにタッチペンで線を描くと、候補文字が次々と上部のウインドウに表示されていきます。すべてを描き終わらなくとも、意図していた文字が表示されたなら、それをタッチすれば確定される……。そういう操作体系でした。
しかし私には、どれだけ描いても描いても認識されない文字がありました。ひらがなの「せ」です。
他の文字はあれほど精度良く認識してくれるのに、画数も少なく形もシンプルなひらがなをわかってくれないなんて、いったいどういうことかとだいぶ悩みました。そしてひょっとしたら「自分の書き順が問題なのでは?」との疑念が生まれました。
私は「七」を描いてからタテ画を入れていましたが、考えてみれば「せ」は「世」の変体ですから、ヨコ画とタテ画を先に入れるのが正解なわけです。
それに気づき、はじめてザウルスで「せ」を書くことができて、えらく気持ちがスッキリしたのを覚えています。
おそらく、より速く候補文字を絞り込むため、書き順も文字判定の基準に加えていたということなんでしょうね。今これを書いているパソコンの手書き文字パレット(ATOKやMS-IMEなど日本語変換ソフトに用意されている)では、どんな書き順でも「せ」を認識してくれましたから。
*
電子手帳の発展型として登場した「ザウルス」は、PDAと呼ばれる小型携行端末のはしりだったと思います。もちろん当時まだそういう言葉は定着していませんでした。
そしてその最初のモデルPI-3000は、私が初めて本格的に使ったタッチペン操作のデバイスでした。かなりヘビーに使いこみ、ハウツー本に使用実例のいくつかの原稿を寄稿したほどです。
ザウルスを使ってみての発見やエピソードを、もうすこし書いてみます。ちなみに「タッチペン」は正しくは「スタイラス」というんですね。石版に書く硬い筆のことだそうです。
2010年2月8日月曜日
ダブルクリックの壁
もう少しマウスにこだわってみます。
初めてマウスに触り、ねらった場所に何とかマウスカーソルを動かせるようになった人がぶつかる次の壁が、ダブルクリックです。
「2回クリックするだけのことが、そんなに難しいの?」と意外に思われるかもしれませんが、これまでの指導経験からいって、これはほんとうです。
1回目のクリックから2回目のクリックまでの間に、マウスカーソルが移動してしまい、コンピュータはそれを2回のシングルクリックと受け止めてしまう……。こういうケースが多いのです。
考えてみれば、同じ場所で続けて2回クリックするためには、「マウスの固定」と「マウスボタンのクリック」という二つの作業を同時にこなさないとできないわけです。
写真を撮るとき、シャッターを押し込むアクションそのものが手ブレを誘発してしまうことがありますが、それと似ているかもしれません。
もともとマウスは、「固定しつつクリック」がやりやすいような形状になっています。なってはいますが、慣れるには多少の時間もかかります。
写真撮影では、スローシャッターが必要だったり、被写体が近いマクロ撮影のとき、シャッターアクションによる手ぶれを回避するため、セルフタイマーを使ったりします。リモコンもいいですね。三脚でカメラを固定すれば完璧です。
でもマウスにそんな機能は付いていませんので(どこかにあるかもしれませんが)、私はダブルクリックの壁にぶつかっている人には、マウスカーソルが望む場所に到達したら「そのままそーっとマウスを持ち上げてみてください」とアドバイスします。
当然ですが、もはやマウスカーソルは動きません。いわばカメラを三脚に乗せたような状態です。この状態でポチポチッとマウスボタンをクリックしてもらい、ダブルクリックのタイミングを指先で覚えてもらいます。
これで、さっきまでのイライラや不安が解消し、スッキリした表情になってくれます。私もホッとし、そこですかさずこう申し上げます。
「現代のパーソナルコンピュータは、『マウスカーソルをねらった位置に動かす』『シングルクリックまたはダブルクリックする』という操作だけで、原理的にすべての操作ができるようになっています。これであなたは、ほとんど最大といっていい高い壁を乗り越えましたよ、おめでとうございます!」
50音のひらがなが全部書けたなら、日本語のすべてを書き表すことができるようになります。表現の巧拙はあり、ひらがなばかりでは読みにくいかもしれませんが、とにかくすべてを書くことはできる。これは大きな一歩に違いありません。
初めてマウスに触り、ねらった場所に何とかマウスカーソルを動かせるようになった人がぶつかる次の壁が、ダブルクリックです。
「2回クリックするだけのことが、そんなに難しいの?」と意外に思われるかもしれませんが、これまでの指導経験からいって、これはほんとうです。
1回目のクリックから2回目のクリックまでの間に、マウスカーソルが移動してしまい、コンピュータはそれを2回のシングルクリックと受け止めてしまう……。こういうケースが多いのです。
考えてみれば、同じ場所で続けて2回クリックするためには、「マウスの固定」と「マウスボタンのクリック」という二つの作業を同時にこなさないとできないわけです。
写真を撮るとき、シャッターを押し込むアクションそのものが手ブレを誘発してしまうことがありますが、それと似ているかもしれません。
写真撮影では、スローシャッターが必要だったり、被写体が近いマクロ撮影のとき、シャッターアクションによる手ぶれを回避するため、セルフタイマーを使ったりします。リモコンもいいですね。三脚でカメラを固定すれば完璧です。
でもマウスにそんな機能は付いていませんので(どこかにあるかもしれませんが)、私はダブルクリックの壁にぶつかっている人には、マウスカーソルが望む場所に到達したら「そのままそーっとマウスを持ち上げてみてください」とアドバイスします。
当然ですが、もはやマウスカーソルは動きません。いわばカメラを三脚に乗せたような状態です。この状態でポチポチッとマウスボタンをクリックしてもらい、ダブルクリックのタイミングを指先で覚えてもらいます。
これで、さっきまでのイライラや不安が解消し、スッキリした表情になってくれます。私もホッとし、そこですかさずこう申し上げます。
「現代のパーソナルコンピュータは、『マウスカーソルをねらった位置に動かす』『シングルクリックまたはダブルクリックする』という操作だけで、原理的にすべての操作ができるようになっています。これであなたは、ほとんど最大といっていい高い壁を乗り越えましたよ、おめでとうございます!」
50音のひらがなが全部書けたなら、日本語のすべてを書き表すことができるようになります。表現の巧拙はあり、ひらがなばかりでは読みにくいかもしれませんが、とにかくすべてを書くことはできる。これは大きな一歩に違いありません。
2010年2月4日木曜日
「ペンで書く技術」の先に
「ペンで文字を書く」のだって、それなりの技術がいります。
マウスやキーボードを操作するより、しっかりした文字を書くことのほうが、よほど高級な技術を必要とするだろうと思います。
ただ多くの人は、筆記という技術を人生の早い時期に習得してしまうため、あまりそれをハードルだとは感じません。
そして、最近の子供たちを見ていると、マウスとキーボードとケータイの操作は、もはやペンで書くことと同列の技術となってしまっているようです。
これが将来、問題を生んでしまうのではないかと、ひそかに心配しています。
営々と続いてきた、ユーザーインターフェイス(UI=使い勝手)を改善していく努力が、ある時点で途切れてしまうのでは……。
と心配するのは、次のような理由からです。
初めてそれに触れる人が、何にとまどい、どこにわずらわしさを感じたか。
そうした情報をどう拾い集めることができるかが、ユーザーインターフェースの改善のひとつの鍵を握っていると思います。
でも、それを触ったことのない人ばかりになり、初めてそれに触れる人がいなくなってしまうと、どこをどういじれば、改善につながるのか、判断がつかなくなる。そんな事態に陥ってしまうのではないかと……。
『iPad』はUIをどう変えるか
http://pc.nikkeibp.co.jp/article/news/20100203/1022662/
記事の中では以下のように指摘されています。
マウスやキーボードを操作するより、しっかりした文字を書くことのほうが、よほど高級な技術を必要とするだろうと思います。
ただ多くの人は、筆記という技術を人生の早い時期に習得してしまうため、あまりそれをハードルだとは感じません。
そして、最近の子供たちを見ていると、マウスとキーボードとケータイの操作は、もはやペンで書くことと同列の技術となってしまっているようです。
これが将来、問題を生んでしまうのではないかと、ひそかに心配しています。
営々と続いてきた、ユーザーインターフェイス(UI=使い勝手)を改善していく努力が、ある時点で途切れてしまうのでは……。
と心配するのは、次のような理由からです。
初めてそれに触れる人が、何にとまどい、どこにわずらわしさを感じたか。
そうした情報をどう拾い集めることができるかが、ユーザーインターフェースの改善のひとつの鍵を握っていると思います。
でも、それを触ったことのない人ばかりになり、初めてそれに触れる人がいなくなってしまうと、どこをどういじれば、改善につながるのか、判断がつかなくなる。そんな事態に陥ってしまうのではないかと……。
*
ひとつ記事をご紹介します。
『iPad』はUIをどう変えるか
http://pc.nikkeibp.co.jp/article/news/20100203/1022662/
記事の中では以下のように指摘されています。
- コンピューティングというものを考えるとき、子供や高齢者のことは見落とされがちなのだが、iPadは、こうした「社会的格差」を解消する初めての製品にな る可能性がある。
- 『iPad』は、幼児がゲームで遊び、学習もできるコンピューターになるだろう。
- そして、おばあちゃんは電子メールを送り、ウェブを閲覧 し、写真を編集するだろう。
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